空回り

noteはもう使いません

国語なんかできねえよ 動画説明欄

https://www.nicovideo.jp/watch/sm41085582

 

どうにも国語だけは苦手だった。
数学と理科にはデータがある。あらゆる思考や概念は抽象化され、数字という共通言語によってそのかたちを保持したまま記述される。先人の遺した公式を美しいと思えるだけの感性は僕には備わっていないが、それを使いこなすこととはまた別の話だ。
去年の秋のことだった。当時の国語の先生は、容姿から判断するにきっと父親ぐらいの年齢で、いつも顎ひげを撫でながら黒板の前でよく分からないことを喋る人だ。N先生と呼ぼうか。その日の彼も普段のように、森鴎外の「高瀬舟」を通読して安楽死がどうだの、フランスの法倫理がどうだのつらつらと語っていた。
こんなこといちいち覚えてたって模試には出ない。教科書を読むふりをして、机の下に忍ばせた英単語帳を眺めていると、ふとどこからか他者の目線を感じた。さっと辺りを見渡すと、他でもないN先生が黒板の前から一歩も動かずにこちらを見ていた。
「そこの君。喜助のしたことは正しかったと思いますか?」不意に質問され、僕は少し戸惑う。「高瀬舟」なら授業が始まる前にもう読んであったし、教科書ガイドの予想問題もきっちり解いてある。だけど、喜助の行動、殺人の是非を記述させる問題なんて僕は知らないし見たこともない。「ええと……正しくないと思います。」平静を装ったまま僕は答える。「そもそも、いかなる理由があれど、喜助のしたことは人殺しです。法律で明確に禁止されている以上……」
「データなんかねえよ。」割り込んだのはN先生だった。「君の言う通り、確かに喜助のしたことは殺人なので、法の下に相応の罰を受けるべきだと思います。ただ、それはそれとして、もう助かる見込みのない弟を少しだけ早く楽にしてやった。この行為についての是非を僕は訊いているんです。そこにデータなんかありません。君の感想だけを聞きたいのです。」
結局、僕は何も答えられなかった。そのあとのことは覚えていないし、思い出したくもない。データなんかねえよ。今思えば、彼にそう言わしめた何かがきっと存在していたのだろうが、今では本人にそれを聞く術もない。
「先生。僕はまだこっちの世界にいます。でも天国に関するデータって、まだ見つかってないみたいです。」僕はそう呟いて、墓石の前でそっと手を合わせた。