空回り

noteはもう使いません

Lixyとは何者か

はじめまして。Lixyと申します。ここ1,2年ほどで交友関係が増え、その都度自己開示をするのも大変だろうということで、重い腰を上げ文章でもあらためて自己紹介をいたします。

☆年齢☆
21
☆好きなもの☆
音MAD、SF小説、音楽、映像 など
☆好きな人☆
初音ミク泉こなた

 特筆すべき事項は以上です。ここからはいろんな人に断片的に語ってきた半生を、公開可能な範囲で書いていきます。以下、文章の一部にトラウマを想起させる描写を含みます。ご注意ください。

 2002年5月、私は北海道某所にて産まれました。お利口な子だったそうです。ただ、両親が怖くて、単に家の中で反抗を起こすことができなかっただけなのかもしれません。
 こと勉強に関しては、たとえば九九を覚えるまで家に入れてもらえないとか(真冬の北海道は辛いです)、テストで間違えたところは必ず食卓で質されるとか、ときに手をあげられるとか、厳しいといえば厳しいものの、連日ニュースで報道されているような家庭のそれと比べれば安全な方で、しかし臆病な僕の平穏を脅かすには十分すぎるほどに暴力的でした。今思えば広義の「教育虐待」というものだったのでしょうか。
 小学校高学年になるころだったと思います。家庭内の生活に疲れた僕は、次第に学校で不適応を起こすようになっていきます。はじめは教室の掃除をサボるとかその程度だったのが、気づけば不良と呼ばれるような人たちと一緒に授業を妨害したり、ときに取っ組み合いの喧嘩をしたり、学校の備品を壊したり、とても乱暴になっていました。家庭内の抑圧を学校で晴らす生活が続くまま中学生になり、そんな状態で成績が良くなっていくわけもなく、家庭でも学校でもひどく叱られることが増えていきました。
 そんな中、ひとつ僕の支えになっていたのがニコニコやYouTubeに投稿されていた、いわゆる「音MAD」です。どれだけ人に嫌われても仕方がないような行動を繰り返しておきながら、幸いにも僕には友達がいて、逃げるように家に入り浸ってはパソコンでいろんな動画を見せてもらっていました。その中に、たまたまドナルド・マクドナルドをめちゃくちゃにした音MADがあったのを今でも覚えています。また、似た文化圏ではボカロ曲も大好きで、とくに「ロストワンの号哭」は当時の自分と完全に重なっており、強く衝撃を受けました。
 高校受験期に入り、僕はその暴力性を自分に向けることとなります。具体的には自傷行為を繰り返すようになり、精神状態は常に不安定で、毎日苦痛でした。厳しかった両親もさすがに見かねたのか、ここではじめて心療内科に連れていかれましたが、ほとんど何も改善することはなく高校受験を迎え、なぜか第1志望の高校に合格してしまいます。
 高校生活は極めて単調で、可処分時間をほとんど全て勉強に捧げるだけの日々が続きます。そうでもしなければ、自分は偏差値の高い大学に合格できず、落ちてしまった暁には本当に自ら命を絶つしかないと思い込んでいたからです。この頃は親が厳しいというより、自分で自分を追い込んでいたように思います。
 成績はおおむね優秀でしたが、心や時間に余裕がなかったためか友人は1人もできず、心はさらに荒んでいきました。やがて目に見えて危険な状態になり、慌てふためいた両親は大きな病院に僕を連れていきます。うつ病ASD(自閉症スペクトラム)の診断が降り、それ以来、あれだけ厳しかった父が勉強に関して何も口を挟んでこなくなりました。彼なりに諦めがついたというか、自分の中で折り合いをつけたのだと思います。
 高2の春ごろから、次第に学校に足を運べなくなっていきます。高卒認定試験(高校を卒業していなくても大学受験ができるようになるもの)の存在を知っていたので、そっちで大学に行こうと考えていました。あれだけ行きたかったはずの高校で不登校になり、それと同時に時間が生まれ、親のパソコンで音MADを作るようになります。幼いころに好きだった読書もここで再開しました。このころにオーウェルの『1984年』や、伊藤計劃の『虐殺器官』を読んだはず。
 同年に高卒認定試験を受け、合格したはいいものの精神はやはり危険な状態で、18歳(高3相当)での受験は諦めることになります。僕は受験や競争が辛かっただけで、勉強そのものはどうやら好きらしく、1年遅れで大学進学を志し今に至ります。19歳頃からは精神もかなり安定しており、今に至ってはうつもほぼ完全に寛解しました。ただ、高校を中退してからはずっと引きこもっていたのと、小学生のころに発症したパニック発作がまだ断続的に続いており、一般的な大学生と比べると全然体力がありません。
 それとどういうわけか、あれだけ嫌いだった両親と今は和解していてよしなにやっています。暇つぶしに始めたはずの音MADから創作活動が大好きになり、コミュニティ問わず色んな友達も増え、人生は今のところおおむね上手くいっています。かつて思い描いていたような優秀な大学にも行けず、高校もまともに卒業できませんでしたが、なぜか上手くいっています。きっととても運や周囲に恵まれているのだと思います。僕と関わってくれている家族や友人すべてに、いつも心から感謝しています。

 長い鬱屈とした文章をここまで読ませてしまって申し訳ないです。僕はこういう人間で、こんな遍歴を辿ってきました!以上です!