空回り

noteはもう使いません

2024年3月、および2014年8月24日、あるいは愛情の簒奪、もしくはスコープ越しの景色について

大学も春休みに入り、まとまった時間ができたので本を読んだり動画を作ったりしました。以下はそれらについての覚書です。

otogrooveの動画作った

 今年の5月に、秋葉原のMOGRAってクラブで音MADを流すイベントがあって。大変僭越ながら本企画にお誘いいただき、2,3ヶ月ほどそのための動画を作っていました。当然ながら、まだ内容についてお話することはできないのですが、運営スタッフのお力添えもあり、これまでのLixyの作品の中ではとてもよくできているものを提出できたと感じています。現地に行けない方にも向けて、ニコ生での配信や当日上映した動画の投稿もなされる予定ですので、思い出したタイミングでふらっとご覧頂ければ嬉しいです。

テトリス大会(非公式)のポスター作った

 本ツイートのポスターデザインを担当いたしました。Blenderで作ったテトリミノ、Inkscapeで作った文字レイアウトをAviUtlでコンポジットしています。

 個人的にテトリスはずっと好きなゲームの一つなので、もっといろんな人たちに広がっていってほしいと願っています。

本を読んだ

 otogrooveの動画を提出して、いったんいろんなことが落ち着いたので興味のあった本をいくつか引っ張り出してきて読みました。以下、若干のネタバレを含む感想です。

『同士少女よ、敵を撃て』

 とても面白かったです。戦争とフェミニズムの文学でした。個人的に、この小説は女性の権利を守ろうとする話である点がすごく好きで、侵攻した街の女性を男性兵士が強姦し、あまつさえその数を武勇伝として誇ったり競ったりと、戦争や虐殺が狂わせた人間の姿を一つの悪として明確に描いています。狂気と惨劇の渦中にありながら、兵士として戦場に赴き、敵兵を撃ち殺しながらも自分の底にある倫理はどこかに残っている。これは主人公であるセラフィマ以外のキャラクターにも言えることで、それぞれが少しずつ違った矜持や守りたいもののために命を投げうって戦い続けます。

 初読時は「進撃の巨人」に近い感想を抱いたのですが、同作も(巨人が相手である点を除いて)同じ戦争の物語である一方、女性の人権が踏みにじられる描写はほとんどなかったと記憶しています。めちゃくちゃ強い兵士として知られていたミカサはともかく、サシャやアニのような調査兵が市民を助けに来て「クソ!よりによって女かよ!」と悪態をつかれるようなシーンはありませんでした。ファンタジーとの差異を語ってもどうしようもないのですが、全体的にすごくリアリティに富んでいます。

『ここはすべての夜明けまえ』

 率直に言って、自分はあまり楽しめなかったです。作品としての強度はしっかりありつつも、僕の琴線には触れなかった感覚。

 というのも、作品全体を通して村田沙耶香の作品に見られるような「気持ち悪さ」があったためです。優れた作品だからこそ、気持ち悪さをしっかり演出できていることは言うまでもなく、けれどその気持ち悪さが文字通り気持ち悪く、読んでいて具合が悪くなってしまう。個人的なナラティブや直面している課題と主人公の像が重なって、人一倍グロテスクに映ったのかもしれません。

 この不和をあらすじから説明します。主人公は「融合手術」を受けて100年ちょっと生きている女性です。ですが、生来のものなのか後天的なものなのか、そのパーソナリティは小中学生なのかと錯覚するほどにあどけなく、それがモノローグとして延々と描かれるために年齢不相応な自分の発達段階と重なって見えて辛くなったのだと思います。私自身、発達障害ASDADHDとそれらの二次障害が原因で、同年代の健常者と比べてかなり福祉や友人、家族の力を借りて生きており、とても他人事に感じられなかったのでしょうか。好きな人は好きな作品なのだろうと感じます。

『教育虐待──子供を壊す「教育熱心」な親たち』

 自分が一介の当事者であるという理由から、「教育虐待」というトピックには以前から関心がありました。「教育虐待」には大きく分けて二つあり、ひとつは過度に子どもに教育をさせること。勉強だけでなく、スポーツや芸術などの分野でも同じことが起こります。親の意向で医学部に進学すること以外の選択肢が認められず、9浪させられた果てに母を殺害し「モンスターを倒した」とTwitterに投稿した女性の報道も記憶に新しいのではないでしょうか。もうひとつは、子どもから教育を受ける権利を奪うこと。本人の意志に反して、子どもを学校に行かせないことなどが該当します(自分が該当したのは前者でした)。

 とはいえ、自分が経験したのはせいぜい成績不振を理由に繰り返し叱責されるとかまれに暴力を振るわれるとか、その程度といえばその程度のことだったのですが、本書で挙げられている例はいずれも想像を絶するもので、小学生が文字通り一日中ずっと父親に監視され、ナイフを突きつけられて勉強机に向かい、(親の)第一志望である難関私立中学に受からなかったら衣食住すらまともに与えてもらえない、といった話が次々に出てきます。

 また、こうした虐待は単に親子間の歪んだ関係性の話ではなく、社会通念としてうっすらただよう学歴偏重主義であったり、塾や予備校の過度な受験への煽りであったり、社会そのものが抱える構造的な問題であると著者は指摘しています。マクロな問題としてシステマティックに解決を試みないと、苦しみ抜いて生きる子どもたちの数が減ることはないのかもしれません。

 

 以上、直近の振り返りでした。