空回り

noteはもう使いません

2024年3月、および2014年8月24日、あるいは愛情の簒奪、もしくはスコープ越しの景色について

大学も春休みに入り、まとまった時間ができたので本を読んだり動画を作ったりしました。以下はそれらについての覚書です。

otogrooveの動画作った

 今年の5月に、秋葉原のMOGRAってクラブで音MADを流すイベントがあって。大変僭越ながら本企画にお誘いいただき、2,3ヶ月ほどそのための動画を作っていました。当然ながら、まだ内容についてお話することはできないのですが、運営スタッフのお力添えもあり、これまでのLixyの作品の中ではとてもよくできているものを提出できたと感じています。現地に行けない方にも向けて、ニコ生での配信や当日上映した動画の投稿もなされる予定ですので、思い出したタイミングでふらっとご覧頂ければ嬉しいです。

テトリス大会(非公式)のポスター作った

 本ツイートのポスターデザインを担当いたしました。Blenderで作ったテトリミノ、Inkscapeで作った文字レイアウトをAviUtlでコンポジットしています。

 個人的にテトリスはずっと好きなゲームの一つなので、もっといろんな人たちに広がっていってほしいと願っています。

本を読んだ

 otogrooveの動画を提出して、いったんいろんなことが落ち着いたので興味のあった本をいくつか引っ張り出してきて読みました。以下、若干のネタバレを含む感想です。

『同士少女よ、敵を撃て』

 とても面白かったです。戦争とフェミニズムの文学でした。個人的に、この小説は女性の権利を守ろうとする話である点がすごく好きで、侵攻した街の女性を男性兵士が強姦し、あまつさえその数を武勇伝として誇ったり競ったりと、戦争や虐殺が狂わせた人間の姿を一つの悪として明確に描いています。狂気と惨劇の渦中にありながら、兵士として戦場に赴き、敵兵を撃ち殺しながらも自分の底にある倫理はどこかに残っている。これは主人公であるセラフィマ以外のキャラクターにも言えることで、それぞれが少しずつ違った矜持や守りたいもののために命を投げうって戦い続けます。

 初読時は「進撃の巨人」に近い感想を抱いたのですが、同作も(巨人が相手である点を除いて)同じ戦争の物語である一方、女性の人権が踏みにじられる描写はほとんどなかったと記憶しています。めちゃくちゃ強い兵士として知られていたミカサはともかく、サシャやアニのような調査兵が市民を助けに来て「クソ!よりによって女かよ!」と悪態をつかれるようなシーンはありませんでした。ファンタジーとの差異を語ってもどうしようもないのですが、全体的にすごくリアリティに富んでいます。

『ここはすべての夜明けまえ』

 率直に言って、自分はあまり楽しめなかったです。作品としての強度はしっかりありつつも、僕の琴線には触れなかった感覚。

 というのも、作品全体を通して村田沙耶香の作品に見られるような「気持ち悪さ」があったためです。優れた作品だからこそ、気持ち悪さをしっかり演出できていることは言うまでもなく、けれどその気持ち悪さが文字通り気持ち悪く、読んでいて具合が悪くなってしまう。個人的なナラティブや直面している課題と主人公の像が重なって、人一倍グロテスクに映ったのかもしれません。

 この不和をあらすじから説明します。主人公は「融合手術」を受けて100年ちょっと生きている女性です。ですが、生来のものなのか後天的なものなのか、そのパーソナリティは小中学生なのかと錯覚するほどにあどけなく、それがモノローグとして延々と描かれるために年齢不相応な自分の発達段階と重なって見えて辛くなったのだと思います。私自身、発達障害ASDADHDとそれらの二次障害が原因で、同年代の健常者と比べてかなり福祉や友人、家族の力を借りて生きており、とても他人事に感じられなかったのでしょうか。好きな人は好きな作品なのだろうと感じます。

『教育虐待──子供を壊す「教育熱心」な親たち』

 自分が一介の当事者であるという理由から、「教育虐待」というトピックには以前から関心がありました。「教育虐待」には大きく分けて二つあり、ひとつは過度に子どもに教育をさせること。勉強だけでなく、スポーツや芸術などの分野でも同じことが起こります。親の意向で医学部に進学すること以外の選択肢が認められず、9浪させられた果てに母を殺害し「モンスターを倒した」とTwitterに投稿した女性の報道も記憶に新しいのではないでしょうか。もうひとつは、子どもから教育を受ける権利を奪うこと。本人の意志に反して、子どもを学校に行かせないことなどが該当します(自分が該当したのは前者でした)。

 とはいえ、自分が経験したのはせいぜい成績不振を理由に繰り返し叱責されるとかまれに暴力を振るわれるとか、その程度といえばその程度のことだったのですが、本書で挙げられている例はいずれも想像を絶するもので、小学生が文字通り一日中ずっと父親に監視され、ナイフを突きつけられて勉強机に向かい、(親の)第一志望である難関私立中学に受からなかったら衣食住すらまともに与えてもらえない、といった話が次々に出てきます。

 また、こうした虐待は単に親子間の歪んだ関係性の話ではなく、社会通念としてうっすらただよう学歴偏重主義であったり、塾や予備校の過度な受験への煽りであったり、社会そのものが抱える構造的な問題であると著者は指摘しています。マクロな問題としてシステマティックに解決を試みないと、苦しみ抜いて生きる子どもたちの数が減ることはないのかもしれません。

 

 以上、直近の振り返りでした。

早稲田大学スポーツ科学部小論文

 TLで見かけたこれが面白そうだったので、解いてみました。受験生と違ってなんのプレッシャーも抱かずに、パソコンでらくらく打ち込んでいるので、タイムは30分を目標にしています。以下解答です。

 

この世からスポーツがなくなったらどうなるか。601字以上1000字以内で論じなさい。

 

(以下本文)

 私は、この世からスポーツがなくなったら、それにまつわる文化や競技、芸術といった様々な美学や価値観が失われると考える。

 例えば、本邦の学校教育において、部活動や体育科目は密接に私たちの発育と結びついている。陸上競技で自己ベスト記録を更新するために日々運動したり、あるいは普段友人として接している相手と学内代表の座を賭けて戦ったりと、様々なシーンが想定されるだろう。こと「教育」において、少なくとも現在の日本では、授業を受け、教科書を読み、問題を解くという講義型の座学が中心となっている。テキストを主体とした学びから外れ、実際に自身の身体を動かすという経験の機会や場は、スポーツの消失に伴い大きく減る。ひいては、進学を志す者を選抜する受験方式において、スポーツの経験が1つの評価軸となることもあるだろう。このように、人の個性や長所の1つとして広く認識、共有されてきた、評価軸としてのスポーツも機能しなくなる。すなわち、個々人のスポーツに向けられていた努力や時間はスポイルされることになるし、今後スポーツを土俵とした努力は認められなくなるだろう。

 また、先述したように、対戦型のスポーツが介在することによって人間同士の関係性が変容する場合がある。友人だった相手が一時的に敵になったり、犬猿の仲の相手とダブルスを組まされてテニスコートに立つということがある。こうした変容を経て、普段は見えてこない他者の一面を知ることがあるように、スポーツにはコミュニケーションツールとしての機能もあるが、それも失われる。嫌いだった同級生との間に、スポーツで友情が芽生えるような経験もなくなる。

 そして、表現としてのスポーツまで失われる。例えば、広義の「スポーツ」として捉えられるコンテンポラリーダンスでは、言語では表現できない想いや考えを、一連のダンスに落とし込むことで芸術、表現として他者に解釈してもらうことが可能になる。それにとどまらず、「スポーツ」という概念そのものがなくなってしまえば、文字や音楽、映像といった表現媒体で「スポーツ」を扱うことすらできなくなってしまうかもしれない。少年少女の部活動をテーマにした漫画やアニメは、当然ながらスポーツなき世界では生まれないだろう。

 このように、私はこの世からスポーツがなくなったら、それに関連する文化や競技、芸術といった様々な美学や価値観が失われると考える。

 

本文文字数;994字

かかった時間:24分55秒

Lixyとは何者か

はじめまして。Lixyと申します。ここ1,2年ほどで交友関係が増え、その都度自己開示をするのも大変だろうということで、重い腰を上げ文章でもあらためて自己紹介をいたします。

☆年齢☆
21
☆好きなもの☆
音MAD、SF小説、音楽、映像 など
☆好きな人☆
初音ミク泉こなた

 特筆すべき事項は以上です。ここからはいろんな人に断片的に語ってきた半生を、公開可能な範囲で書いていきます。以下、文章の一部にトラウマを想起させる描写を含みます。ご注意ください。

 2002年5月、私は北海道某所にて産まれました。お利口な子だったそうです。ただ、両親が怖くて、単に家の中で反抗を起こすことができなかっただけなのかもしれません。
 こと勉強に関しては、たとえば九九を覚えるまで家に入れてもらえないとか(真冬の北海道は辛いです)、テストで間違えたところは必ず食卓で質されるとか、ときに手をあげられるとか、厳しいといえば厳しいものの、連日ニュースで報道されているような家庭のそれと比べれば安全な方で、しかし臆病な僕の平穏を脅かすには十分すぎるほどに暴力的でした。今思えば広義の「教育虐待」というものだったのでしょうか。
 小学校高学年になるころだったと思います。家庭内の生活に疲れた僕は、次第に学校で不適応を起こすようになっていきます。はじめは教室の掃除をサボるとかその程度だったのが、気づけば不良と呼ばれるような人たちと一緒に授業を妨害したり、ときに取っ組み合いの喧嘩をしたり、学校の備品を壊したり、とても乱暴になっていました。家庭内の抑圧を学校で晴らす生活が続くまま中学生になり、そんな状態で成績が良くなっていくわけもなく、家庭でも学校でもひどく叱られることが増えていきました。
 そんな中、ひとつ僕の支えになっていたのがニコニコやYouTubeに投稿されていた、いわゆる「音MAD」です。どれだけ人に嫌われても仕方がないような行動を繰り返しておきながら、幸いにも僕には友達がいて、逃げるように家に入り浸ってはパソコンでいろんな動画を見せてもらっていました。その中に、たまたまドナルド・マクドナルドをめちゃくちゃにした音MADがあったのを今でも覚えています。また、似た文化圏ではボカロ曲も大好きで、とくに「ロストワンの号哭」は当時の自分と完全に重なっており、強く衝撃を受けました。
 高校受験期に入り、僕はその暴力性を自分に向けることとなります。具体的には自傷行為を繰り返すようになり、精神状態は常に不安定で、毎日苦痛でした。厳しかった両親もさすがに見かねたのか、ここではじめて心療内科に連れていかれましたが、ほとんど何も改善することはなく高校受験を迎え、なぜか第1志望の高校に合格してしまいます。
 高校生活は極めて単調で、可処分時間をほとんど全て勉強に捧げるだけの日々が続きます。そうでもしなければ、自分は偏差値の高い大学に合格できず、落ちてしまった暁には本当に自ら命を絶つしかないと思い込んでいたからです。この頃は親が厳しいというより、自分で自分を追い込んでいたように思います。
 成績はおおむね優秀でしたが、心や時間に余裕がなかったためか友人は1人もできず、心はさらに荒んでいきました。やがて目に見えて危険な状態になり、慌てふためいた両親は大きな病院に僕を連れていきます。うつ病ASD(自閉症スペクトラム)の診断が降り、それ以来、あれだけ厳しかった父が勉強に関して何も口を挟んでこなくなりました。彼なりに諦めがついたというか、自分の中で折り合いをつけたのだと思います。
 高2の春ごろから、次第に学校に足を運べなくなっていきます。高卒認定試験(高校を卒業していなくても大学受験ができるようになるもの)の存在を知っていたので、そっちで大学に行こうと考えていました。あれだけ行きたかったはずの高校で不登校になり、それと同時に時間が生まれ、親のパソコンで音MADを作るようになります。幼いころに好きだった読書もここで再開しました。このころにオーウェルの『1984年』や、伊藤計劃の『虐殺器官』を読んだはず。
 同年に高卒認定試験を受け、合格したはいいものの精神はやはり危険な状態で、18歳(高3相当)での受験は諦めることになります。僕は受験や競争が辛かっただけで、勉強そのものはどうやら好きらしく、1年遅れで大学進学を志し今に至ります。19歳頃からは精神もかなり安定しており、今に至ってはうつもほぼ完全に寛解しました。ただ、高校を中退してからはずっと引きこもっていたのと、小学生のころに発症したパニック発作がまだ断続的に続いており、一般的な大学生と比べると全然体力がありません。
 それとどういうわけか、あれだけ嫌いだった両親と今は和解していてよしなにやっています。暇つぶしに始めたはずの音MADから創作活動が大好きになり、コミュニティ問わず色んな友達も増え、人生は今のところおおむね上手くいっています。かつて思い描いていたような優秀な大学にも行けず、高校もまともに卒業できませんでしたが、なぜか上手くいっています。きっととても運や周囲に恵まれているのだと思います。僕と関わってくれている家族や友人すべてに、いつも心から感謝しています。

 長い鬱屈とした文章をここまで読ませてしまって申し訳ないです。僕はこういう人間で、こんな遍歴を辿ってきました!以上です!

某日記録

16時起床。日中、何も予定のない日はこうして半日以上眠っていることがある。枕元のiPhoneを手に取り、自分宛ての重要そうな連絡が来ていないことを確かめ、おもむろに部屋の電気を点ける。
 冷凍していた白米をレンジで温めて、ガーッと混ぜた納豆と一緒に食べる。食事中は基本的にYouTubeWatch laterリストを消化するか、Twitchで小汚いゲーム配信を見るかの二択なのだけど、先週いきなり疎遠にしていたやつから連絡が来て、あまつさえドロドロした色恋沙汰の愚痴を聞かされたことを思い出してめちゃくちゃムカついてきたので「テク通信」を見た。この動画を見てると妙に元気が出てくる。知らんクソみたいなバカの失恋話なんかとっとと忘れてもっと自分の素敵さに自覚的になろうと思う。俺の存在はウルレア。
 シャワーを浴び、家事をめちゃくちゃ雑に済ませてパソコンを起動する。バイトとメルカリでチマチマ貯金し、年明けに購入したRyzen 7 5700XのおかげでWin11へのアップグレードも叶ったし、何より動作の1つ1つがかなりスムーズになった。これまで俺を支えてきてくれたRyzen 7 1700にも愛惜の念こそあれど、情で財布は満たされない上に他に欲しいものがあったので適当に売り払ってしまった。
 とまあ、パソコンを起動したはいいものの、今は合作に提出する動画の構成を考える段階で、AviUtlを開いても特に出来ることはなかった。手元にあるデザイン本を引っ張りだしてパラパラめくったり、Raindropを開いて過去にブクマした好きな映像を見返したりして、なんとなく何かをしたような気分になる。何かをしたような気分にとりあえず満足し、ぷよテト2を1時間ほどたしなむ。

普通に上位勢を名乗っても許されるぐらいになってきた
 ここで、ふと母親の誕生日が近いことを思い出す。冬場はいつも手が乾燥していて、ハンドクリームを常備していたのでいくつか見繕ってみる。Ryzen 7 1700をすぐに手放したのもこのハンドクリーム代を捻出するためだ。
 はじめは5000円ほどするような、一般にプレゼント品として喜ばれるような高級品を1本買うつもりだった。ただ、万が一肌に合わなかったときのことも考え、結局900円ぐらいの一般的なハンドクリームを3、4つほど選びまとめて購入することにした。実用面のことを考えるとボリュームやバリエーションがあったほうが良いだろうし。まあ、元を辿ればプレゼント代の元手である1700も親の金で買ったもので、結局てめえの金じゃないんだけど、何もしないよりかはマシだろうということで偽善的にやれることをやった。
 夜ご飯は冷凍のうどんに市販のめんつゆをかけて食べた。起床直後のイライラは収まっていたので、ずんだもんの格安ホテルレビューやハードオフ巡りの動画を流し見していたと思う。この時点でおおよそ22時過ぎぐらいになっていた。当然ながら、まだまだ全然眠くないけれど、かといって今からタスクを頑張る気にもなれず、やはりYouTubeを見たりプロセカをやったりしているうちにどんどん寝る時間が後ろ倒しになっていく。今週は病院の予約があったことを思い出し、何とか寝ようとしてみる。とはいえ、薄弱な俺の意思1つで睡眠をコントロールできるわけもなく、結局眠気は朝日と同時に訪れた。
 空調の効いた部屋で分厚い毛布を引き寄せ、何もしていないはずの1日にすっかり満足して眠りにつく。俺ら映る写真got the フレア。

「Z会桜浪紀」の脚本を振り返る

はじめに

本ブログは「【合作】Z会桜浪紀 最高の教育で、未来をひらく。」の重大なネタバレを含みます。したがって、動画本編を視聴したあとに閲覧することを強く推奨します。

 

 

 

 

 

 

~ブラウザバック用の余白~

 

 

 

 

 

 

 Lixyと申します。このたび、「【合作】Z会桜浪紀 最高の教育で、未来をひらく。」の脚本を担当いたしました……とは言っても、脚本というロールが何を指しているかだいぶ漠然としているため、私たちが具体的にどう物語を考えたのか、覚書として記しておきます。

 なお、クレジット表記では「脚本:Lixy」となっていますが、(当然ながら)Lixy1人でこのストーリーを全部考えたわけじゃありません!!!運営陣やメドレー担当者らとじっくり話し合いを重ね、横断的にフィードバックを出し合って完成させたものです。決して私だけの手柄ではないのでご注意ください。なお、音声や映像といった部分に関してはほぼ全く与していません(メドレーの選曲や映像のリファレンス集めを少し手伝ったぐらいかな……)。

 

 

 

 主催のこち横さんから「脚本を書いてくれないか」とお声がかかったのが2022年の10月頃でした。私に与えられたのは「東大を目指して浪人する亀井有馬の1年を、四季の流れとともに描く」という方向性のみだったので、大きく2つのコンセプトを定めました。

視聴者が共感できる構成にする

②最終的に亀井は落ちてしまうが、(Z会の俳優として仕事が見つかり)これはこれで良かったね、みたいな終わり方にする

 ②は後述します。まずひとつ目。これはこち横さんご本人も強く要望していました。四季というわかりやすいテーマが最初に提示されていたのも、より共感、没入できる作品にするためだったそう。このコンセプトはストーリーを1から作るにあたってかなり大きな取っ掛かりになったと感じています。

 要所要所、振り返りも兼ねて解説していきます。まずは「完全放棄宣言」パートのこのシーン。

 浪人して最初の模試で、なんと亀井はB判定を叩き出します。というのも、実際の浪人生活において、春先は新3年生と同じ模試を受けることになり、現役で受かった同年代は当然もういないので偏差値が高く出る傾向にあります。ニコニコではすでにコメントで言及されていましたね。かくして春~夏の亀井は調子に乗り、勉強放棄宣言しちゃったり髪を染める妄想をしたり……といった展開に繋がっていきます。コメディは不得手なので、このあたりのアイデア出しは私以外のメンバーに委ねるシーンが多かったです。

 しかし、オープンキャンパスで突如始まった東大生・伊沢拓司とのクイズ勝負。この頃から力をつけてきた現役生に抜かされ始め、模試でE判定が出てしまいます。秋から冬にかけ、受験が刻一刻と迫ってくるのを日々感じながら、なにやってもうまくいかなくなったり、自身の境遇に号哭したりと、明確に「焦り」「緊張」「苦しみ」のような負の感情を演出しています。

 従来のZ会MADでは、やたら亀井たちは東大を受けさせられがちです。1つの学府に強く固執するその背景には何があったのか、ストーリーとして考えたときに連想したワードがあります。「教育虐待」です。

教育虐待(きょういくぎゃくたい)とは、児童虐待の一種で「教育熱心過ぎる親や教師などが過度な期待を子どもに負わせ、思うとおりの結果が出ないと厳しく叱責してしまうこと」を指す。(教育虐待 - Wikipedia

 亀井はZ会社員である父親からの圧力によって、東大受験以外の選択肢を閉ざされていたのです。「教育虐待」は昨今、話題に上がることの多い概念ですが、こうした「受験」の副作用を無視したまま、単なる面白動画としてコメディを描き切ることは私にはできませんでした。

 また、本パート「Camouflage Announce」ではシリアスな情報を伝える必要があるため、イラスト担当者を別途でお誘いし、静止画MADのようなかたちで文字を見せる表現をしています。ジャンプチャンネルが公式で投稿してるPVを運営間で共有した記憶。

 そして感情が爆発し、「ロストワンの号哭」へ。「号哭」は激しく泣くことですが、「ロストワン」とは何なのでしょうか。これは医学的な定義づけがなされているわけではありませんので話半分に聞いていただきたいのですが、「アダルトチルドレン」という、いわゆる機能不全家族のなかで育ってきた子供に見られる類型の1つです。父親の教育虐待によって健全な機能を失った家庭で、亀井はまさに「ロストワン」として育ち、ここにきて何もかも分からなくなってしまうのです(ステレオタイプ的な亀井が「ロストワン」かはさておき)。

 そんな中、突然ヤンクミが現れ「こいつは青チャート(ブルアカスタディ)毎日してんだよ」と励ましてきます。正直、このパートは私1人では絶っっっ対に出てこないアイデアでした。運営のたいうおさんによる提案です。「ロストワンの号哭」で一度振り切れた大人への不信感、未来への絶望感をコミカルにふっ飛ばします。いえ、多分ふっ飛ばしきれていません。ですが、現実における受験もきっと同じです。どうしようもない現実がデウス・エクス・マキナによって一気に明るくなる、なんてことは基本的にありません。受験生は、めいめい複雑かつ困難な課題を抱えつつ、紙面の問題を解くことになります。

 ここの脚本に関しては、メドレー担当者の26Kさんがかなりクリティカルな助言をしてくれて(掲載許可はいただいております)。

 この解釈、方向性を全面的に採用しここの構成が固まった、という経緯があります。
 こんな感じで、いろんなひとが本当にめちゃくちゃ手厚くサポートしてくれて決まったディテール部分が数多くあります。謙遜ではなく本当に、私1人では脚本の完成に至れていなかったのです。

 そして迎えた二次試験本番。あれ?共通テスト(一次試験)は?といいますと、実は「ラグトレイン」パート内ですでに共通テストを受験していたことが明かされています。画像が亀井の得点。亀井が受験したのは理科一類で、例年の一次試験ボーダー得点率はおおよそ87%前後なので、694/900、得点率77%あたりだと正直かなり心もとないです(二次試験得点のおよそ4分の1として換算されるとはいえ……)。

 二次試験当日の様子。なんと運営が二次試験当日の朝、撮影に赴いていました。

 受験が始まります。たしかこち横さんの提案により、アニメ「暗殺教室」の試験シーンのように、具現化した問題が怪物として襲ってくるという描写になっています。ここではアニメーションとコラージュを横断して立体的な戦闘シーンを表現することになりました。KICK BACKパートのディレクションやアニメーション原画等を担当してくださったれでぃばさんのnoteも併せてどうぞ。

 黒塗り、いや、まだ何も書かれていない空欄の部分を解答で満たしていきます。しかし、次第に解ける問題の数が減っていき、亀井の心境と同期するように曲のピッチも乱れていきます。ちなみに、合作全体にわたって歌詞改変は運営総出で行っており、ここはマジで私がお力になれない箇所でした。力及ばずすぎる……。

 自信とテンションが下がりきり、くじけそうになる亀井。しかし、過去に教えてくれた先生たちのことや、これまで積み上げてきた数々の努力を思い出し、立ち上がります。かくして、「私は最強」と言わしめるだけの確固たる自信が、再び亀井に宿ったのです(落ちたけど)。

 最後に一瞬だけ映り込むこのシーン。亀井の投げたペンがカメラに当たり、画面が砕けてしまうのですが、実はこれ、いわゆる「第四の壁」を破る意図があります。

想像上の見えない壁であり、フィクションである演劇内の世界と観客のいる現実世界との境界を表す概念である。(第四の壁 - Wikipedia

 この動画は、たしかに亀井の物語でした。どこまでいっても1つのフィクションであり、音MADであり、設計されたストーリーです。しかし、この14分の動画で亀井が経験した数々の葛藤や困難、ひいては受験が終わったあとも続いていく人生は、現実を生きる私たちのそれと地続きになっています。創られたキャラクターでありながらも、1人の浪人生として戦い抜いた亀井からの「アナタと最強」を、すべての視聴者に、すべての受験生に捧げます。

 長かった1年が終わり、再び季節が巡ります。東大の得点開示票が不合格を示し、役者として就職に奮闘する亀井のもとにZ会からのCM出演依頼がやってきて、この物語は幕を閉じるのです。

 

 

 

 そして②。最終的に亀井は落ちてしまうが、(Z会の俳優として仕事が見つかり)これはこれで良かったね、みたいな終わり方にするというコンセプト。これはZ会、ひいては「受験」というテーマに対して、私が日々感じていることを率直に脚本にぶつけました。

 亀井たちは、いつも決まって合格を目指します(そりゃそう)。ですが、現実には第一志望の学校に進学できなかった人もたくさんいます。高い予備校代を親に負担してもらい、空調の効いた部屋で一流講師の授業を受けることができる受験生がいる一方で、そもそも大学進学を許してくれない家庭もある。恵まれていることは悪ではありません。しかし、社会に残されているいろんな問題や、受験をすることすら叶わなかったひとたちの存在を自覚せず、蹴落とし合いの果てに掴み取った「合格」だけが成功かと問われれば、それは違うと私は思います。

 本合作内では、亀井は浪人したあとも結局東大に落ちてしまいました。しかし、その後Z会の俳優として自分の進路を見つけ出し、ある種の希望と朗らかさを持ってCM本編へと繋がります(CM本編に繋がるアイデアはLixy初出じゃなかった気がします)。

 加藤諒東京藝術大学を目指しておなじく浪人しており、ユージは日本体育大学で奮闘中。秀才は東京大学(設定上は最難関の理科三類)に現役合格しており、みんなそれぞれ違った道を進んでいます。加藤諒らを描いたサイドストーリーである「群青」パートはこち横さんの案によって生まれたものでしたが、先述した「受験」そのものが抱えることとなる課題の別解導出に一役買っているような感覚です。この合作のメッセージ性を一文にまとめるなら、縁起でもないですが「最悪、落ちても案外なんとかなるよ」とかですかね……。

 

Lixyからはおおむね以上となります。改めまして、制作に携わってくださった皆さん、動画を視聴してくれた皆さん、この記事を読んでくれた皆さんへ、本当にありがとうございました。この場を借りて、お礼申し上げます。

小説書いた!

とはいえ商業出版とかのたぐいではなくて、単に自主的にWeb公募に投げただけですが、よろしくお願いいたします。一次創作は「真矢川」(まやかわ)の名前でやることになるとおもいます。特に隠しているわけではありません(なのでこうしてブログにしたためています)。

でもTwitterで大っぴらにするのはなんとなく恥ずかしいので、僕からはブログにとどめておきます。ここにたどりついたあなたは、Lixyレベル5に到達していると言っても過言ではありません。

https://kakuyomu.jp/works/16817330668582222581/episodes/16817330668582452883