空回り

noteはもう使いません

もう音MADなんかやらねー

2週間ぐらい前、突然ノートパソコンのスピーカーからデカい異音が流れ始めた。ビーとかジーとかそんな感じの音。人に聞いて回ったり色々調べてみたりしてみたところ、どうやらRealtek Audioに問題があるらしく、USBマイクのミキサーを経由したイヤホンで音を聞くと異音は乗っかっていなかった。だからまあ音MADを作るとかDTMをするとかその分には問題は(今のところ)ないのだけど、そもそも僕は感覚過敏のケがあって、イヤホンとかヘッドホンのように身体に密着させて使うウェアラブルバイスが苦手だ。スピーカーだけで雑に音声切り抜きとかの作業をすることができなくなってしまったのが辛い。

そして、それとは全く別件で、1か月前ほどに友人から使っていないデスクトップパソコンを譲り受けた。ただそれが色々改造を施してある関係で、動作は不安定だしCPUはマザボを取っかえた瞬間に動かなくなるし、本当に扱いが難しい。というか色々パーツ取っかえないと使えない(ただちゃんとしたデスクトップを1から作るよりは圧倒的に安く済むし、何よりその気持ちがめちゃくちゃ嬉しくて元の持ち主にはめちゃくちゃ感謝してる)。そんなこんなでデバイス周りのトラブルが本当に多くて、ネタ動画1つ作るのにも結構な労力を要するようになってしまった。

 

話は一転するのだけど、僕は2019年の8月ごろに「Lixy」として音MAD動画を作り始めて、それからもう3年ほど経つ。途中、メンタルヘルスやリアルの激動もあってブランクこそ長かったものの、一応3年弱は音MADというコンテンツに触れ続けているわけで、その間に自分より凄いクリエイターを山ほど見てきた。僕より歴が浅かったり若かったりするような人が信じられないような映像を作っていたり、ちゃんとした商業としての創作をやっている一方で僕だけは一向に音MADが上手くならなかった。始めて間もない頃は「まあ俺は始めたばっかりだし」みたいなマインドでいることは(不健全であれ)可能だったけれど、3年もパソコンを触ってきて意識的にリファレンスまで集めるようになった今、同じ言い訳は通用しない。自己愛の強い僕が主観的に見ても拙作は粗が目立つのだから、第三者から見ればそれはもういたたまれないような完成度なんだろう。

 

正直言って、この3年間で僕は自分の音MAD、もっと抽象化すると視覚/聴覚芸術への適性の無さを実感せずにはいられなかった。センスもないのに創作意欲と承認欲求だけは一人前で、最小限の努力で下世話な欲求を満たそうとしていた。バズった作品はいずれも何かしらの形で第三者の力を借りていたものだし、それらを完全に「自分の作品」として扱うことに対する強い忌避感もあった。端的に言えば、僕は音MADが、創作が下手だった。なのにそればっかりに拘泥して、生活費だけで精一杯の今の暮らしからパソコンパーツ代とAdobe代を捻出する必要があるのか、今の僕にはさっぱり分からない(そして恐らく答えはNoなんだろうな)。

 

こうして3年の月日を経て鬱積してきた絶望が、経済面という負のトリガーによって発露してしまってもうどうしようもなくなっている。現時点で受けている合作が少しだけあって(うち1つはすでに担当箇所を提出済み)、それだけ片付けたらしばらくは音MADや映像と距離を置こうと思う。幸いにも今はそれ以外にやりたいことがそこそこあるし、積読の消化とか文章の練習とかに時間を割こうかなって考えてる。後のことは知らない。分かんない。