空回り

noteはもう使いません

早稲田大学スポーツ科学部小論文

 TLで見かけたこれが面白そうだったので、解いてみました。受験生と違ってなんのプレッシャーも抱かずに、パソコンでらくらく打ち込んでいるので、タイムは30分を目標にしています。以下解答です。

 

この世からスポーツがなくなったらどうなるか。601字以上1000字以内で論じなさい。

 

(以下本文)

 私は、この世からスポーツがなくなったら、それにまつわる文化や競技、芸術といった様々な美学や価値観が失われると考える。

 例えば、本邦の学校教育において、部活動や体育科目は密接に私たちの発育と結びついている。陸上競技で自己ベスト記録を更新するために日々運動したり、あるいは普段友人として接している相手と学内代表の座を賭けて戦ったりと、様々なシーンが想定されるだろう。こと「教育」において、少なくとも現在の日本では、授業を受け、教科書を読み、問題を解くという講義型の座学が中心となっている。テキストを主体とした学びから外れ、実際に自身の身体を動かすという経験の機会や場は、スポーツの消失に伴い大きく減る。ひいては、進学を志す者を選抜する受験方式において、スポーツの経験が1つの評価軸となることもあるだろう。このように、人の個性や長所の1つとして広く認識、共有されてきた、評価軸としてのスポーツも機能しなくなる。すなわち、個々人のスポーツに向けられていた努力や時間はスポイルされることになるし、今後スポーツを土俵とした努力は認められなくなるだろう。

 また、先述したように、対戦型のスポーツが介在することによって人間同士の関係性が変容する場合がある。友人だった相手が一時的に敵になったり、犬猿の仲の相手とダブルスを組まされてテニスコートに立つということがある。こうした変容を経て、普段は見えてこない他者の一面を知ることがあるように、スポーツにはコミュニケーションツールとしての機能もあるが、それも失われる。嫌いだった同級生との間に、スポーツで友情が芽生えるような経験もなくなる。

 そして、表現としてのスポーツまで失われる。例えば、広義の「スポーツ」として捉えられるコンテンポラリーダンスでは、言語では表現できない想いや考えを、一連のダンスに落とし込むことで芸術、表現として他者に解釈してもらうことが可能になる。それにとどまらず、「スポーツ」という概念そのものがなくなってしまえば、文字や音楽、映像といった表現媒体で「スポーツ」を扱うことすらできなくなってしまうかもしれない。少年少女の部活動をテーマにした漫画やアニメは、当然ながらスポーツなき世界では生まれないだろう。

 このように、私はこの世からスポーツがなくなったら、それに関連する文化や競技、芸術といった様々な美学や価値観が失われると考える。

 

本文文字数;994字

かかった時間:24分55秒