空回り

noteはもう使いません

日記(1月分)

今年の頭から個人的に書き溜めていた日記のうち、他の人に見せても問題ないだろうという(≒非プライベートな)部分だけ抜粋してここに載せておきます。アウトプットを報酬系に繋げないと来月以降あんまり続く気がしません。

 

1/8

ここ数日「OMORI」をプレイしてから、「個々人の原体験と強く結びつく創作物は強い」ということを考えています。例えば、僕の大好きな「ハーモニー」は部分的に僕の体験と重なっていますし(詳述するといろいろダメなので控えますが)、そもそも普遍的なシチュエーションのフィクションが広く受け入れられているのもきっとそういうことなんでしょう(理解が浅い)。
バズを意識する創作物にそうしたエッセンスを取り入れるのは有力な手法として挙げられると思うのですが、一方で僕は(主に小説に)素っ頓狂な舞台設定や人間を求めている節があります。何もかもが僕らの常識とかけ離れている世界はフィクションとして記憶の中で区別しやすいので、どれだけ悲しい物語でも安心して傷つくことができるんです。もしかしたら一種の防衛機制なのかもしれません。ああお腹痛すぎて文章が・・・。

 

1/18

地元で同窓会があったそうで、友人から写真が送られてきました。僕も招待こそされていたものの、地元を離れているために物理的に参加できず今に至ります。恩師も来ていたようで本当に顔を出したかった。
話を戻すと、その友人から送られてきた画像は会の終わりに撮ったであろう集合写真だったんですが、僕の記憶の中には15歳までのみんなの姿しかないわけです。特別仲の良かった友人ら(今回画像を送ってくれたやつもこれにあたります)とは今でも時々遊んだりするものの、やはり元クラスメイトの大多数は今どうしているのかもお互い知らないままで、いざこうして容姿を目にして初めて5年という月日の残酷さを理解したような気がします。
これまでなるべく悔いのないような選択を続けてきたはずですが、やっぱり受験勉強というフィルターを完全に取り払った状態でもう一度中高生をやり直したくなります。部活動も文化祭も、忙しなく試験のことを考える自分だけがどこか浮いていて素直に楽しめないままでした。この先、夢の中にみんなは出てこなくなるのかもしれません。 

 

1/21
屍者の帝国」を読んでから、円城塔(@EnjoeToh)のツイート通知をつけているんですが、彼のTwitterは本当に無駄がないというか、小説家としてのひとつの理想系だなって思います(言いすぎ?)。
なんといいますか、語弊を恐れずに言うと、積極的にSNSを動かしてバシバシ時事問題に言及したりアンチと戦ったり、独自の創作論を展開したりしてバズってる小説家が僕は嫌いなんです。小説という媒体からのみダイブできる世界の創造主はどこまでも静謐であり、厳かであってほしいというワガママが根っこにあります。
その一方で、大好きな作家のプライベートを垣間見たいという、ちょっと俗っぽい面も一ファンとして僕はしっかり持っていて、それゆえにSNSをやっていない、あるいは更新が少なすぎる作家さんを見てもお前もっとツイートしろ!!なんて思っちゃいます。やっぱりめっちゃワガママですね。
そのあたりの変なニーズを円城塔先生はすごく正確に満たしてくれるんです。ポケモンの話してる!飯の話してる!ワトソンを、ザ・ワンを、フライデーを動かした創造主たるあの円城塔先生がエースバーンの話してる!!!って沸き立たせてくれる。なのに物書きとしての厳かな印象はずっと保ったままなんです。本当に不思議で仕方ありません。伊藤計劃も生きていたらなあ・・・。

 

1/27

【holo*27 MV】さくらみこ x 兎田ぺこら - モッシュレース【ホロライブ x DECO*27】 - YouTube ←これに仲いい音MAD作者が出まくっててめっちゃ衝撃を受けたと同時に、正直すごく悔しくなりました。

いや、卑屈になってるわけではなくて、まず大前提として僕よりエディットの上手い音MAD作者さんなんて件のMVに参加している方々含めいくらでもいらっしゃるんです。特にこれはYTPMV的な映像表現を意識して作られたものらしく、そういうことであればなおさらこの人選は納得だなと僕は思います。

でも!個人的に!!あまりに参加者との距離感が近すぎる!!!同じ、あるいは近い環境や土俵でやってきた友達はどんどん大成していくのに、僕だけはずっと自分一人で何もできずにくすぶっています。単に、みんなには素質があって僕にはなかったというだけの話かもしれませんが、目の前で友達が成長していくのを指を咥えてただ見ていられるほど僕はおとなしくありません。なんて言っておきながら、正直去年はあまり創作活動に注力できていませんでした。ただ、これにはこれで(オープンな場所であるここに書くのは控えますが)ちゃんと理由もあり、その分他のことをすごく頑張った年だったので個人的にはあまり後悔はしていないです。

というか、僕はそもそも2023年以降は音MADから離れようと思っていました。やっぱり僕は悲観的なところがあって、センスのない自分は早めに創作活動に見切りをつけて進路と直接関係のあることを学ぼうって気持ちが強くあったんです。ただ、拙作をたくさん見て褒めていただいたり、めっちゃ憧れの人とご縁があったり、いっぱい友達ができたりと、音MADをやめてしまうには惜しすぎる成功体験が多くありました。先述のMVや音MDM天のような出来事も影響して、自分も何かデカいことを成し遂げてから引退したい!!音MADを作ることが苦手なまま別の趣味に移ってもきっと何も成し遂げられない!!!という気持ちの方が大きくなってしまい、結局今も音MADを作っています。部活の引退試合前に張り切っていた先輩方の心情が今なら少しわかる気がします。自分のペースで頑張るぞ~~~!!

 

終わり(あんまり分量なかったな~)