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音MADにおけるコンテクストの作り方‐「キラーソーニャエデュケーション」を例に考える‐

この記事は音MAD Advent Calendar 2022に参加しています。(諸事情により順番が一部前後しています。すみません!)

はじめに

Lixyと申します。私が発案し、ディレクションと音声制作を務めた「キラーソーニャエデュケーション」が、10月に「強烈誘拐」アカウントから投稿されました。

和音の耳コピは葉月味(https://www.nicovideo.jp/user/96226560)さんに担当していただきました。ありがとうございます。

 

当記事ではこの動画を例に、音MADにおけるコンテクストの作り方ついて解説していきます(ほとんど我流ですので、使用ツールなどは皆さんのお好みに合わせて調整することを推奨します。僕は基本的にGoogleドキュメントを用いて整理していました)。

あくまでもこの記事は、文脈やストーリーを再構築するための方法論に焦点を当てたものです。したがって、「キラーソーニャエデュケーション」のストーリー解説は必要最小限にしています。ご了承ください(そして気になった方はぜひたくさん考察してみてください。ほとんどすべての描写に意図を込めています)。また、一部内容が拙作「ラグとレイン」の解説記事と重複していますので、すでにそちらをご覧になっている方は適宜読み飛ばしていただいて構いません。

1.曲、素材の解釈

音MADはその性質上、文脈を作る場合に素材となるコンテンツ原曲の2つについて精通している必要があります。これら2つのメッセージ性や世界観がぴったり合致していることは極めて稀で、基本的に素材と曲の間には多少のすれ違いや摩擦が存在しているため、それぞれの文脈が繋がるように解釈を進めていく作業が必要です。

「キラーソーニャエデュケーション」は、キルミーベイベービターチョコデコレーションの組み合わせであるため、まずはこれら2つの要素を分解してみましょう。

 

キルミーベイベー

・主要な登場人物は「やすな」「ソーニャ」「あぎり」の3人(他にも「没キャラ」などが存在しますが、いわゆる外伝キャラたちなので今回は除いています)

・やすなは普通の高校生。ソーニャと同じ学校に通っている。ソーニャの仕事については知っているが、どういった経緯でそれを知ったのかは明らかにされていない。

・ソーニャは高校に通いつつ、「組織」の指示のもと殺し屋として暗躍している。友人であるやすなにはなぜかこのことを知られているが、やはり経緯は謎。

・あぎりもやすな、ソーニャと同じ学校に通っている高校生。あぎりもソーニャと同じ「組織」に属する殺し屋の忍者。

 

ビターチョコデコレーション

・「人を過度に信じないように 愛さないように期待しないように かと言って角が立たないように~」といった、社会や人間関係における不文律と解釈できる文章から歌詞がなる。

・サビから「ビターチョコデコレーション 兎角言わずにたんと召し上がれ ビターチョコデコレーション 食わず嫌いはちゃんと直さなきゃ」と歌詞が一転し、チョコレートを無理に食べさせられる少年が描写される。

・考察は様々なものがあるが、「チョコレートを食べる」という行為が何かのメタファーである可能性は極めて高い。歌詞の内容から、この曲を一言で表すなら「世の中の不条理さを内面化していく人の曲」だと考えた。ビターなチョコレートの食事≒苦しく辛い不文律の内面化?(余談だが、個人的にはこの考察(閲覧注意)が最もしっくりきた。今回は音MADというフォーマットに落とし込むため抽象度はあえて高くしてある。)

・作曲者のsyudou氏曰く「耐えながら生きてる人の曲」らしい。

 

さて、これで素材の情報を整理できました。特に重要だと感じた部分については傍線を引いてあります。当動画は曲の選定を先に行ったため、そちらからまず見ていきましょう。

先述の解釈を前提とすると、ビターチョコデコレーションは「世の中の不条理さを内面化していく人の曲」であり、「耐えながら生きてる人の曲」です。耐えながら生きてる、不条理を内面化する……。これらのテーゼを用いてキルミーベイベーの連想ゲームをしてみます。

ギャグ漫画というフォーマットであるために、バックグラウンドの詳述こそされていないもののキルミーベイベーのソーニャは殺し屋です。素性を隠して高校に通いつつ、要人を手にかける。もちろん自身が命を狙われる場合だってある。常人では発狂してしまいそうなほどのストレスやプレッシャーに、彼女もまた耐えながら生きてるのではないでしょうか?快楽殺人者のような印象も作中からは見受けられませんし、殺し屋として生きていくこと(≒世の中の不条理さ)を内面化した人なのではないでしょうか?

これで大まかな共通項の整理は終わりました。キルミーベイベーのソーニャが、耐えながら生きてるというストーリーにするとうまくくっつきそうですね。

 

2.ストーリーを考える

ここまで考えてきたことを軸に、音MADのストーリーを考えます。再び前項のキルミーベイベーに立ち返ってみましょう。

・やすなは普通の高校生。ソーニャと同じ学校に通っている。ソーニャの仕事については知っているが、どういった経緯でそれを知ったのかは明らかにされていない。

・ソーニャは高校に通いつつ、「組織」の指示のもと殺し屋として暗躍している。友人であるやすなにはなぜかこのことを知られているが、やはり経緯は謎。

・あぎりもやすな、ソーニャと同じ学校に通っている高校生。あぎりもソーニャと同じ「組織」に属する殺し屋の忍者。

ソーニャは殺し屋であることに苦しんでいます(ということに「キラーソーニャエデュケーション」の世界ではしてみます)。では、彼女はなぜ殺し屋であることに苦しんでいるのでしょうか?

ここでキルミーベイベー設定、本編をよく確認してみると、やすなとソーニャ、あぎりが知り合った経緯が一切描写されていないことに気がつきます(もしかしたら僕の把握できていない作者インタビューなどで情報が開示されている可能性もありますが、その場合は歴史改変二次創作物として扱えばいいでしょう)

ここから、「組織」側の人間であるソーニャとあぎり、そして普通の女子高生であるやすなが、キルミーベイベー1話以前に何らかの形で交わって友人となったものの、このことでソーニャ(と2人)がひどく苦しんでいるというストーリーを思いつきます(人によって目の付け所が違ってくるのも二次創作ならではの面白さですが、便宜上、当記事では皆さんが私と同じアイデアに思い至ったというかたちで話を進めます)。

さて、情報を整理しアイデアも浮かんできて、ようやく本編で描かれていない部分を妄想で補完するフェーズに入ることができました。ディテールを肉付けするために一度話を一般化してみましょう。この記事を読んでいるあなたが、秘密裏に殺し屋として暗躍しているとします。この時まず真っ先にあなたが憂うことはなんですか?誰かにこのことがバレてしまうこと?家族やパートナー、友人をはじめとする大切な人たちを巻き込んでしまうこと?人を殺めることへの罪悪感や良心の呵責?自身も殺されてしまう可能性?色々あると思います。これら殺し屋の苦しみのうち、友人のやすなとの人間関係に焦点を当てつつ、他のことも描写していくという方向性にしようと私は考えました。

 

3.歌詞改変

プロットが固まってきたところで歌詞改変に移ります。歌詞改変において、個人的に重視する要素は以下の3つです。

・ストーリー、世界観の表現

・元歌詞との対比、押韻

・語感(多義的な語ですが、ここでは「ここにこの歌詞持ってくると気持ちいい!」ぐらいの感覚だと捉えてしまって構いません)

要素だけ提示しても分かりにくいと思うので、個人的にめちゃくちゃ良い歌詞改変がなされていると感じた動画を2つピックアップしておきます。ぜひチェックしてみてください。

「総員スタンバイ」「世界最後ファイナルミッション」やばい。歌詞に限らず構成全体がかなり丁寧な動画です。何食ったらこんな動画作れるようになるんでしょうか……。

音MADではありませんが。サビの「フォニイ」をそれっぽい名詞や形容詞でごまかさず、「ムンフォに」と置換してるのがスマートすぎる。

話を戻しましょう。今回使用する楽曲「ビターチョコデコレーション」の歌詞を見てみます。

人を過度に信じないように
愛さないように期待しないように
かと言って角が立たないように
気取らぬように目立たぬように

元の歌詞が著しく素材と乖離していない限り、無理に歌詞を変える必要はありません。ここは殺し屋にも通底する部分なのでそのままにしておきます。

誰一人傷つけぬように
虐めぬように殺さぬように
かと言って偽善がバレないように
威張らないように

殺し屋なのに「誰一人傷つけぬように」はちょっと無理がありますね。「殺さぬ」も。一般に殺し屋にとって、必要のない殺害は足がつくことに繋がったり罪が重くなったりと、望まない結果を招くことになるため好ましくありません。うーん、「威張らないように」も殺し屋には自明ですね。こんな感じで、元歌詞から違和感のある部分を抽出したのちに歌詞を考えてみます。以下は私が実際に行った歌詞改変です(赤字が改変部分です)。

いたずらに傷つけぬように
虐めぬように生かさぬように
かと言って当為がバレないように
今は穏当に

ソーニャが「誰一人」傷つけないわけがないので「いたずらに」としてみました。「殺さぬ」も同じ理由で「生かさぬ」に。「偽善」は殺し屋の態度としては自然ですが、ここまでの歌詞を変えているため文章の流れを意識して、ここでは「当為(とうい)」と置き換えています。なすべきことという意味の熟語で、要は殺しのことですね。最後の「威張らないように」も前述の理由で除外し、「今は穏当に(ima wa ontou ni)」と、押韻しつつ冷徹な殺し屋のイメージを押し出す歌詞にしてみました。こうした言葉遊びを繰り返しつつ全体像を考えていきます。

 

4.セリフ合わせ

「キラーソーニャエデュケーション」では、ほとんどセリフ合わせを用いていないので今回はあまり語れることがありませんが、一応ちゃんと意識していることがあるので説明します。Cメロの部分です。

(やすな)大丈夫!私がついてるよ ずーっとソーニャちゃんの友達でいるからさ
だから安心して、ね? ・・・ん?どうかした?

(ソーニャ)・・・なんでだ?

「大丈夫~どうかした?」と「なんでだ?」はそれぞれ別のシーンから引っ張ってきています。「なんでだ?」の部分には、例えば「ありがとう」など、それっぽい別の台詞を入れることも可能ですが、ストーリー構成の段階でキルミーベイベー1話以前の話を描くことが決まっています。無難な言葉で間を埋めるだけでは、せっかく作ったストーリーがもったいありません。

ここであえて、普通の会話の流れからは考えにくい疑問詞を採用してみます。すると、ずーっと(ソーニャちゃんの)友達でいるという親友宣言に対して、殺し屋としての不文律を教え込まれてきたソーニャにはそれが理解できなかったことを暗に示すような役割を持つことになります。利害関係を度外視して接してくれる人の非存在を、でっち上げたストーリーを恣意的なセリフの切り貼りで生成することもプロットさえ固まっていれば可能です。

 

以上が「音MADにおけるコンテクストの作り方」となります。極めて個人的な意見なのですが、音MADにおいて映像や音声のように出力結果が具体性を持つ部分の技術共有はすでにたくさんの音MAD作者さんがしてくれている印象があります。一方で、作品のコンセプトや世界観など、いわゆるディレクションの部分について困り果てている方をこれまでに何人も見てきました。プロットの書き方、異なる曲と素材の世界観のすり合わせ方、歌詞改変において意識することなど、その辺りの可視化されにくい部分についていつか掘り下げたいと考えていたのでいいきっかけになったと思っています。

それでは、ありがとうございました!