空回り

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チルチルやりら大学生は進撃の巨人を読んでいない

知り合いの大学生、それこそ僕と同じぐらいの年齢の人たちのツイートを日頃から眺めている。英語で言うところのwatchとかlookじゃなくてseeぐらいの感覚。何の見返りも求めずに異常サンプリング創作をしているコミュニティではほとんど見かけないけれど、それでも「彼女と遊んできた」「リア友とオールカラオケして疲れた」的な、しれっとイケイケ大学生やってます的な匂わせが僕の視野角の隅っこに描画されることはたまにある。単に僕の虚勢への感度が高すぎるというのも要因としてはあるかもしれない。

 

なんというか、僕自身もクロマキーでめちゃくちゃ綺麗に透過できる程度にはお尻が青いから偉そうなことは言えないのだけど、中高生時代を(特に僕より恵まれた家庭環境で)エンジョイしてきた人たちが、属性や所属、環境といった自分以外の要素で自分を語ることに対してどうしても嫌な気持ちがついてまわる。特にオタクコミュニティの場合だとその気持ちが強くなってしまって、本当にキラキラしてる人たちとは張り合えないからネット上のどうしようもないナード達に向けて自身のちょっと背伸びした時のエピソードを語っている、みたいなバックグラウンドを想像せずにはいられなくなる。見ているこちらまでいたたまれなくなることすらある。

 

少し話は脱線するのだけど、僕のリア友にザ・陽キャみたいな人がいて、彼とはもう8年近くの付き合いになる。そいつと今年の3月に会って話をした時に「俺はすぐにウジウジ悩み事しちゃうから、なるべく気丈に振る舞ったりたくさんバイトしたり遊びの予定入れたりしてその気持ちを誤魔化してるんだ」とポツリと漏らしていたのが凄く印象に残っている。やっていることが特別高尚でなかろうと(それはそれとして彼はすごく頑張っているし、僕は心から彼のことをリスペクトしている。ただ、営みだけをフォーカスしてしまうと勉強を疎かにして遊んでばかりの学生と捉えられるだろう)、その裏に秘めたる思いや信念があってナラティブを情熱的に語ることができる人間は、結局活動の内容に関わらず素敵なんだなと感じた。

先述したようなイケイケ匂わせ人間に対する不快感というのは、やたらと人の上に立ちたがるという行為そのものに起因するものではなくて、こんなにイケてる俺凄いだろ!で話が完結してしまうこと、それ以上のコンテクストや情熱、ナラティブをこちらが享受できないことが主たる原因なのかもしれないな。とも思った。

 

ここから先は僕個人の経験、つまりたった1つのサンプルに基づく考察なのだが、こうした魅力の見せ合いっこに躍起になっている若者の背景には「何者かにならなければならない」という呪いがあるのだと推察している。インターネットが普及した昨今では、容姿の魅力的なインフルエンサーや弁の立つコメンテーターたちが大きな影響力を有している。10代の人間なんてよほど聡明でない限り大抵は無根拠の万能感を有しているし、そこから脱却して自分が凡人であることを認めるのには相当な時間と体力、そして覚悟を必要とする。加えて言うならそうした万能感はきっと「呪い」の形成に大きく寄与しているだろう。

 

ここで、何者かにならなければならないという「呪い」についてかなり深く掘り下げている漫画がある。「進撃の巨人」だ。

あまりディテールを語ってしまうとネタバレになってしまうので内容は割愛するが、以上のことから導かれる結論はひとつ。「チルチルやりら大学生は進撃の巨人を読んでいない」である。

ということで、読みましょう。進撃の巨人。ちょっと難解だけどおもしろいよ。