空回り

noteはもう使いません

近況報告、そしてスランプ

晴れて今年の4月から大学生になりました。これを機に一人暮らしもバイトも始めて、一応引きこもり無職という人生の夏休みは一旦中断することになりました。ただ、あの時期は本当に充実していたから後悔はないけれど。

このブログをわざわざ見に来てくれるような方ならすでにご存知かもしれませんが、僕は拙いながらも音MADを中心とした二次創作活動を3年半ほど続けています。作品全体のコンセプトや構成を組んだり、原作のメッセージ性を一般化して他のコンテンツと結びつける工程にはそこそこ自信があるのですが、いかんせんそれを視覚、聴覚の部分に落とし込む技術が足りてなさすぎる。これでも最近はまだマシになってきた方ではあるんですけど、ツールの知識や扱い方の部分が甘すぎてなかなか上手に表現することができていないというのがネックな部分です。最近は何とかしてAdobeを契約したり、人から余り物のパソコンを譲っていただいたり、バイト先までの電車の中でリファレンスを集めまくったり、困ったところを友達にDMで質問したりして少しでも憧れのクリエイターさん方に追いつけるよう尽力(というほど真摯に向き合えていないけど…)しています。僕なりに。本当に無理のない範囲で。

 

ただ、この営為を半年、いや1年弱近く続けてきて、やっぱり自分は天才ではなかったんだなと痛感する瞬間が本当に増えてきました。自分よりずっと若いクリエイターが、プロ顔負けの作品を作って、しっかり自分で生計を立てている。きっと僕の衒学的な好奇心だけでは一生、いや、何百年かかっても彼らのようなクリエイターにはなれないんです。自分を卑下しているとかではなく、単にこれはもう客観的な事実として受け止めるしかないんです。

 

正直、僕はインターネットを始める前まではそこそこ優等生でした(そして、周りにもおそらくそう評価されていました。)。定期テストや模試もそれなりにできていたし、書いた文章を先生に褒められるという経験もたくさんしてきました。要は「ちっちゃな頃から優等生」で、でもインターネットでもっともっとストイックな人たちとたまたまご縁があって仲良くさせていただいて、その辺りから自身の衒学趣味に対して強烈な嫌悪感を抱くようになってしまったんですね。先述した通り、一応勉強やバイトの合間にちまちま創作活動は続けているのですが、やっぱり周りの友達にはどうしても遅れをとっています。井の中の蛙として生きていくことができなくなってしまったのに、まだ自分の中にはしっかりと俗物根性が残っていて、そこの気持ちの整理、まあ端的に言ってしまえば自分が天才ではないことを認めようと努力しているうちにモラトリアムが終わってしまいそうな、そんな気がしています。

 

それはそれとして、「人は必ず何者かにならなければならない」という命題は僕は偽だと思うんです。今の僕は、いくつかのスキルにアイデンティティを(意図的に)分散させていて、そのおかげか勉強一辺倒だった学生時代よりはずっと気持ちは安定しているのですが、先の命題が偽だと頭では考えていてもありのままの、創作も教養も何もないそのまんまの自分をどうしても好きになることができていません。そこもゆっくりでいいから、いつか通過できるといいな、なんて考えながら大学のレポートを書いたり、フォトショを触ったりしています。最近は本当にそれだけです。